05/昼寝(生徒会総務部財政係 今野孝史・同係長和泉千帆の場合)

 もう7時か。僕は生徒会室の時計を見た。各担当毎、役員の机が島を作っている生徒会室。残っていたのは僕だけ。財政係はこの時期が一番忙しい。予算大会と呼ばれる、予算委員会への原案づくりがあるからだ。各部活動から上がってくる予算要求書に目を通し、削るところは削り、加えるべき所は加える作業である。部活動の原案は僕が作り、生徒会の原案は和泉さんが作ることになっている。今日は彼女が部活に出る番だ。部活も交代で出なければならないほど忙しい。予算はこの後、総務部長、会長に見てもらい、予算大会に回される。
 「孝史君頼むね(はあと)」女子バスケ部の要求書の余白を見て苦笑する。しかし野球部とかは「予算付けないと金属バットで…」とか書かれているから洒落にならない。それに、削るにも加えるにも、いちいち各部活を説得しなければならないから、骨が折れる。昨日は、サッカー部に予算の値切りに行ったらシュートの集中砲火を浴びたし、今日は柔道部で乱取りの相手をさせられた。(明日はたぶん接骨院だ)例年、部活動の予算編成は男子がやることになっているのも、この辺の事情があるのだろう。それに、この時期は毎日の出来事を絵日記にして監察係に提出しなければならない。特定の部活と結びつかないようにだという。でも、絵日記なんて、小学生以来だ。
 とりあえず、今日見た要求書だけ判を押して帰ろ。腰が痛いし。きっと、柔道部長に投げられたとき、したたかに打ったからに違いない。えっと、何枚だ。10枚か。判子の欄は五つ…「部活動担当」ここだ。あとは、「財政係長」「総務部長」「副会長」「会長」か。ふと、判を押すスペースを見つめた。じっと凝視する。その部分の紙が波打ちだして、人の顔みたいのが、浮き上がってくる。老人とも赤ちゃんともつかないその表情。しばらくして、それはゆっくりと目を開けた。次の瞬間、にやりと笑う。そして、それ全体が血のように真っ赤になって、まるで判子のように…。
 
 お弁当を食べるのもほどほどに箸を置く。今日のおかずはミニグラタンだった。お母さん好きな物入れてくれてありがと。この時期財政係は一番忙しい。、カタカタと電卓を叩きながら、あたしは、向かいの席で突っ伏している今野君を見た。予算編成に疲れて眠ってしまったのだろう。しばらく放っておいたが、遊ぶことにした。だらりと机に延びた今野君の右腕。そう言えば、こないだ会ったいとこの赤ちゃんは、寝ているときに、手のひらに指を乗せてやると、勝手に握ってきた。かあいかったなあ。あ、それって、思春期後半の男の子でも同じなんだろうか。あ、なんか楽しくなってきた。一人でためして大ガッテンな感じ。ふふ。じゃあ、私の指で…。
 え、ちょと妄想を止めてみる。ちょっとこれ、恥ずかしい。てかよく考えるとかなり恥ずかしい。誰かに見られたら、ただのおかしい人だよ、あたし。別な物でやろ。なんか、指に似てて、手のひらに収まるようなものは…。あった。判子だ。今野君の手のひらに置いてみる。お、勝手に握り始めたぞ。やっぱり、人間なんてそう変わらないんだ。三つ子の魂百までってやつね。感心していると、今度は苦しみ始めた。どうしたんだろ。やばいなあ。とりあえず、予算書の束で殴って起こすことにする。あれ、予算書の一番上は、女バスぅ?「孝史君頼むね(はあと)」なにこれぇ!なんか、やな感じ。あたしは思いっきり束を振り上げた。
 あれ、今野君、起きたと思ったら、自分の右手を見ている。判子があることにビックリしているみたいだ。でも、なんか様子がおかしい。顔真っ青だ。え、帰る?どうして。今、昼休みだよ。
 「じゃあ、和泉さん、あと頼むね。」
 今野君は青ざめた表情で帰っていった。きっと急に体調が悪くなったんだろう。予算編成もきついし、あたしも気を付けないといけないな。うん。(了)